ノンフィクション作家が情報番組のネットの話題を取り上げるコーナーを目にしてインタビューをしたいと思うところから始まる。彼は「即座に決めた。行って、絵の書き手に合う必要がある。(中略)こんな稚拙な絵を家に描かせた人々にも話を聞きたい。(中略)世に伝えるべきドラマがあるはずだった」という文章から絵を描いた男についての話が始まります。そして、絵を描くきっかけとなった母の死が綴られ、町内会での出来事から一旦住んでいた土地を離れて戻って来た事が伺えるような書き方がされています。地元に戻った彼が始めたのが母親のアトリエを教室にした学習塾でした。彼の母親が亡くなってから、その教室の白い壁が空虚さを彼に覚えさせたようで、その壁に美術の先生だった母の絵を掲げました。しかし「ひとりで生きることは本来、何かの罰でもなんでもない。それなのにそう感じてしまうのは、伊苅自身が己を許せないからに他ならなかった。ひとまず絵を外し、また白い壁と向きあって見ようと決めた。(中略)賑やかな声が聞こえなくなったときの空白感がよけいに応えるのだった。授業後はいつも、白い壁を睨んで黙考するようになった」そんな彼がなぜそういう思いを抱いたのか、そして、熟考した挙句の結論が壁に絵を描く事だったのか、絵を描くとなった時「伊苅の中では必然性があった。(中略)わくわくしていたのだ。こんな感情をまたもてるとは思わなかった」彼はこうして絵を描き始めました。
ここまで読んでくださった方は、これのどこが面白いのかと思われると思います。しかしなぜ「ドラマがあるはずだった」という過去形なのでしょうか。なぜ、「必然性があった」のか。普通の物語だと思っていた小説が実は読み進めるごとに謎とその解が示されるミステリー仕立て。殺人もない、トリックもない、そこにあるのは一人の男の半生、そして人間こそがミステリー、そんなことを気づかされた本書でありました。(河辺店 yamaoka)
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出版社/メーカー
文藝春秋
ISBN/JAN
9784166305001